1996年
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bullet舵社の通販でオーダーしたライフスリング等が届いた

1996年12月22日(日曜日)

舵社の通信販売でオーダーしたライフスリング(テークルキット付き)、ソーラーチャージャ取付金具、GPS取付ブラケット等が届いた。

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bullet一日中風が弱く、志賀ヨットクラブ沖でジェネカーの練習

1996年12月15日(日曜日)

昨日(土曜日)から日本上空は東西に長い移動性高気圧に覆われて全国的に好天に恵まれたようです。
ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。
JR塚口駅7時59分発の電車で出発。志賀ヨットクラブには9時35分ごろ到着しました。レース参加艇が早くから出港していったようで駐車場に車が15台ほどありました。レースは南湖で行われるらしく、出港した艇の姿はもう見えません。北湖にはセールの影は見えず静かなものです。

YAMAHAに依頼していたしていたブームハンガーとブーム下部のアイの取り付けは完了していました。

直ぐに艇を降ろして貰って、燃料タンクをセット、エンジンは一発で掛かりました。10秒ほど吹かしてから暫くアイドリング。南からの微風が安定して吹いているので、セールの準備は沖へ出てからのことにして、マストとステイ周りのチェックだけして、出港することにしました。今日の予定は、志賀ヨットクラブ沖の近場でセーリング、15時帰港を告げて、9時55分に出港しました。

雲一つ無い快晴で、朝はちょっと寒いのですが、昼には気温も上がりそうです。風は南〜南東の微風。長命寺方向へ進路を取ります。エリを過ぎてから、デッドスローでセールを揚げます。ブームハンガーを付けたお陰でブームカバーの取り外し、メインセールの捌き、メンハリヤードの取付などの作業がとても楽になりました。それに比べて、ジブのタックのセットは非常にやりにくい。通常のネジ式のピンのシャックルなので注意していないとピンやシャクル本体を落としそうです。バウの先端で手から離れたらまず水の中に落として失われます。これを早くレバー付きピンのシャックルに変更したい。

朝は寒かったのでしっかり着込んでいます
ワイフ
私

風が弱いので、こんな時はジェネカーが一番と早速用意しました。今日はジェネカーでのジャイブを練習したいので、シートも予め左右に振り分けて用意しました。ジェネカーを揚げるととたんに見違えるように艇速が上がりました。風が徐々に東に回ってきたので、コースを徐々に北に向けます。北湖にはヨットの姿が見えません。志賀ヨットクラブの方からカタマランが出てきました。いつもシングルハンドで乗っておられる大先輩です。湖上で時々声を掛けてくださいます。さすがにカタマランは速いです。北に向かっているこちらの目の前をアビームですーっと横切って行かれました。「暖かいですね」と声を掛け合いました。こちらは、お握りの昼食中だったのですが、大慌てでカメラを取り出して撮ったカタマランの写真がこれです。直ぐに南下して行かれました。

カタマラン

ほとんど一日中風が弱かったので、ジェネカーで過ごしました。ジェネカーで走れる範囲を行ったり来たりしていたということです。ジェネカーのジャイブに慣れてきました。

14時50分、帰港。
南湖のレース帰りの3艇が追いかけるように帰港してきてスタッフの上架作業が一気に忙しくなっていました。

17時30分頃に帰宅しました。

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bullet風が無く、機走で安曇川尻往復

1996年11月17日(日曜日)

曇り時々晴れ。ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけます。
昨日までは典型的な冬型気圧配置だったのですが、今日は大陸からの移動性高気圧が日本の上を覆っています。風は弱いのですが、朝の気温は低い。購入したばかりのGillのジャケットとトラウザーズの初めての出番です。バッグに入れて持参します。ブーツはすでに船に備えてあります。

今日は参議院議員の補欠選挙があるので早めに家を出て投票を済ませてから、いつもと同じJR塚口駅7時69分発の電車に乗りました。大阪駅で8時15分発の新快速に乗換え、京都8時45分発の近江舞子行は、何時ものことながらぎりぎりで間に合いました。この普通電車は、秋になると比良山脈周辺へ出かけるハイカーで満員です。何とか空席を見つけて座れました。

9時40分に志賀ヨットクラブに到着しました。駐車場はがらがらです。スタッフの二人がホイストで下架の作業をしているだけで、人影は見えません。

到着の挨拶をしたら、ハーバーマスターの藪さんから、準備が済んだら直ぐに降ろしますということで、早速下架して貰うことにしました。藪さんによると、朝から風はほとんど無くて、午後時雨れると時折風向の定まらない吹き出しが断続的にあるかもしれないので山の上の雲の動きを注意するようにとのこと。

燃料タンクは2個とも満タン。白髭沖方向を目指して、15j時帰港予定。エンジンは一発で掛り、藪さんが15秒ほど空吹かしすれば大丈夫でしょうということで、それでも少しだけアイドリングして10時出発。

風はほとんどありません。曇りで薄い雲の間に所々青空が顔を見せています。湖岸から蓬莱山の山裾にかけて霧がかかっています。湖面にはうっすらと朝霧が残っています。沖ノ島、湖北の山々がうっすらとぼやけて見えます。

東の湖面も、北の湖面も全く風が無く、波も全くありません。昨日の冷え込みと冷たい移動性高気圧の影響で、今日も気温は低く10度を切っています。機走し始めるとやはり寒いので早速Gillの上下を着込みました。暖かい空気に包み込まれたように、着たとたんに暖かさを感じます。暖かい肌着、靴下、手袋などを用意すれば万全でしょう。

風の気配はまるで見えないのですが、それでも一応セールの準備をしておくことになりました。今日はワイフがヘルムを取り、私がセールのセット作業をやりました。全く風が無いので準備だけにしました。鏡のような湖面に空の雲まできれいに映っています。機走で白髭沖を目指しました。

松ノ浦の沖あたりまで来たら、蓬莱山の北斜面のスキー場がある周辺が真っ白な雪景色になっているのが見えました。昨日の冷え込みで、比良山系の稜線や谷では雪になっていたようです。ワイフは足も寒いというのでブーツを履きました。

水遊びのシーズンが過ぎ去って、水上バイクなどの姿が見えなくなり、湖岸が静かになっています。近江舞子あたりの湖岸近くを北へ向けて機走します。11時頃、近江舞子の漁港と琵琶湖汽船の桟橋の近くまで寄って、様子を見てきました。ブラックバス目当ての釣り人ばかりです。中には湖岸から腰のあたりまで立ち込んでルアーを投げている釣り人もいました。次は、白髭神社を目指します。相変わらず風はありません。

機走しているだけで他にすることもないので、早めの昼食にしました。寒いので魔法瓶の温かいお茶がとても美味しい。喉を通ってお腹に暖かさが広がり、体の緊張がが解れます。

11時20分、白髭神社の湖中の鳥居の正面から神社に参拝しました。そのまま白髭の浜を通り過ぎて、安曇川尻を目指します。大概の時は白髭浜を躱して比良の山陰を出て安曇川尻の平野が見渡せる湖面では、良い風が掴めるのですが、今日はここに来ても全く風がありません。念のためにエンジンを停止し艇を停めて、真の風を確認してみました。やっぱり風は全くありません。風が来ることを期待して、セールを揚げて機帆走にしてみました。

12時30分、安曇川尻を通過。このあたりでは青空が広がって、太陽の暖かさがうれしい。時折の僅かに北東の風が来るようになりました。その時の機帆走のトップスピードは12.5km/h前後です。セールを揚げて機帆走にした方が僅かにスピードが上がっています。此処まで来るのに機走で2時間半(内30分弱は機帆走)、15時帰港予定どおりだとそろそろ引き返す時刻なのですが、天気も良いし滅多に足を伸ばさない湖北の景色も眺めてみたいので、帰港を1時間遅らせることにしました。
まだ遠目ですが竹生島がくっきりと見えてきました。東には多景島が見えています。竹生島の西に見える海津大崎周辺の奥琵琶湖の急斜面は深い緑の中に紅や黄色の紅葉が交じって、錦織りなすという表現がぴったりです。志賀ヨットクラブからから直線距離で約26kmあたりで、13時20分。今日のここまでの機走スピードは平均で約7.8km/hになります。此処で引き返してフルスロットルの約10km/hで走るとすると、帰港予定時刻は16時前になります。引き返すことにしました。セールは降ろしました。センターボードも上げて、兎に角少しでもスピードを稼ぎます。

まっすぐ志賀ヨットクラブに向けてコースがぶれないようにヘルムに専念します。風は殆ど吹かず穏やかな湖面のままで、15時50分に帰港しました。

上架作業中に、スタッフの大西さんがBUDDYをフォークリフトで水平まで上げたところで、キールが無いと大騒ぎになりました。BUDDYがセンターボードを揚げているところを初めて見たようです。もう一度水面に降ろし、センターボードのピボット用のロープを緩めてセンターボードを降ろしました。機走スピードを稼ぐためにセンターボードを揚げていたことを失念していました。
今日は風が無かったから、問題はなかったのですが、風のある日は入港前にセンターボードを降ろしておかないと、風に流されてしまいます。また上架作業中にセンターボードが降りてきたりすると危険です。入港時には必ずセンターボードを下げ切っておく必要があります。反省、要注意。

和邇駅17時5分発の電車に乗って、いつもより1時間ほど遅く18時45分に帰宅しました。

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bulletGillのオイルスキンが届いた

1996年11月6日(水曜日)

ヤマハで注文していたGillのサザンクロスジャケットとハイフィットトラウザーズが届きました。XSサイズがワイフ用、私のはSサイズです。

Sサイズのトラウザーを履いてその上にライフジャケットを着て、その上からジャケットを着ても窮屈ではありません。十分ゆとりがあります。ヤマハの堀江さんのお勧めのサイズがぴったりでした。Mサイズを注文していたら大きすぎて大変なことになるところでした。

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bullet沖島北端往復、午後はリーフして快走

1996年11月3日(日曜日、文化の日)

土曜日の午後から天気は回復して、今日は朝から晴れわたり、午後には快晴になりそうです。天気予報では大陸からの東西に長い移動性高気圧に覆われて月曜日の午前中までは好天が続き、気温も平年より2、3度高いとのことです。

ワイフと二人、いつもどおりの時間と経路で志賀ヨットクラブへ出かけます。JR塚口駅7時59分発の電車で出発、大阪駅8時15分発の新快速に乗換えました。ハイキングなどに出かける人で新快速は混み合っていましたが、新大阪駅では二人とも座ることができました。京都駅で8時45分発の湖西線の近江舞子行きに乗換えるのですが、駅内が工事中の上に人出が多くてもう少しで乗り遅れるところでした。

志賀ヨットクラブに着くと、先週と違って乗用車がたくさん駐車しています。南湖一周のレースがあるので参加する艇は9時前に出発したとのことでした。

今日は、購入したばかりのデッキブーツ2足、デッキシューズ1足等をカートに括り付けて持ってきたので、まずそれらをキャビン内に収納しました。その後直ぐに、出港の準備を開始しました。左舷に舫いとフェンダーを付け、満タンの燃料タンクをセットしました。前回は、機走で燃料をかなり消費したので、エンプティーに近づいています。予備タンクに付け替えて、ほぼ空のタンクは満タンにしてもらうように依頼しました。

10時前に艇を降ろしてもらって、そのまま出港しました。帰港予定は15時、目的地は沖島です。

湖面に波はありますが、風はそれ程ありません。エリの外にでたところで、セイルをセットしました。エンジンをカットしましたが、微風なので波に弄ばれます。天気が良くて暖かいのは良いのですが、これでは面白くありません。我慢して風が来るのを待っていますが、東の風だと思うと南に回ったり、波に揺らされてウィンデックスが360度一回りしたり、ほとんど無風に近い状態が続きます。
とにかくなんとか動かしたくて、ジェネカーを揚げてみました。今日はジェネカーでのジャイブを練習したくて、シートを両サイドにセットし、ポートタックで揚げました。艇は東南東に向かいアビーム状態です。しかし風が殆ど無いので、ジェネカーは時折しか孕みません。
風が南東に変わって微風ながら安定してきました。風が良くなることを期待してジャイブしながらジェネカーを降ろしてジブに戻すことにしました。スタボータックでジブを揚げて、北東を目指します。しかし、この風も続かずまた東に変わり直ぐに落ちてしまいました。
比良の山陰に入らないずっと北の湖面では北の風が吹いているようで、北からの波がやってきます。しかし、こちらは風が無く、その波で艇が揺れるたびにセールがはためいて推進力が奪われてしまいます。我慢しながら北東から北北東を目指してカタツムリが這うようにノロノロと蛇行しながら進みます。

暖かい日差しを受けながら、風を待つばかりで他にすることもないので、ちょっと早めですが11時過ぎに食事を始めました。食事を終えた頃には風は全く無くなってしましました。

仕方がないので機走で北に向かうことにします。ジブは降ろし、メンスルはリーフしてスパンカーのように残し、センターボードも半分ほど揚げて、機走に移りました。15分ほど走ると弱いながら安定した北東の風を受け始めました。ワイフは暖かい日差しを受けて昼寝をしていましたが起こして、11時45分、セーリングに移ります。

前方には僅かに白波も見えて来たので、メインセールはリーフしたまま、ジブを揚げてセーリングを開始。クローズホールドで沖島北端を目指します。風が徐々に良くなって、艇速が上がって行きます。7〜9km/hで走っています。今日は風が良くなってからはワイフが大半の間ヘルムを取っています。沖島が近くなるにつれ、北からの風がさらに強まり、白波が多くなってきました。波も次第に高まり、バウが波を切るときにスプレーを飛んできます。時折のブローで結構大きくヒールします。スピードは速い時で12.5km/h位までになりました。
前からの見掛けの風が強くて寒くなってきました。ワイフはライフジャケットの上に、私の黄色のヘリーハンセンのライナー付きウインドブレーカーを重ね着しています。私もウィンドブレーカーを着ました。
時々リーフラインのクリートの具合をチェックします。クリューのリーフラインは少し細いのでクラムクリートが滑って緩むことがあります。ブーム上にもう一つ普通タイプのクリートを付けて、クラムクリートは作業中の仮止め用のクリートとして使うようにしないと、セーリング中にクリューが緩んでブームが落ちてくることになりかねません。

南から30feet以上の艇が2艇、クローズホールドで沖島の西岸を北上してきます。風は、沖島の北端に近付くとますます強くなってきました。20feetのセンターボーダーのBUDDYだと白波が出る頃にはリーフした方が安定して走れます。ヒールが減って艇が安定し、結局風が有効に使えます。リーフしていて正解でした。

13時30分になりました。前回と同様、沖島の東の水道を通って帰ろうかとも思いましたが、水道内の風の様子が分からないので、今回はここでタックして引き返すことにしました。
アビームよりすこし追っ手気味のリーチングで快調に走ります。11〜12km/hは出ています。南からクローズホールドで追って来た2艇とすれ違いました。こちらが風下側を通過しました。2艇とも30feet以上の艇です。リーフせずフルメインですが、相当ヒールしていて時々セールの風を抜きながら走っていました。

15時帰港予定ですが、沖島北端から志賀ヨットクラブまで直線で約14.5km位ですから、このスピードが続けば、予定時間内に帰港は可能です。

ブロードリーチの走りは速くて面白いのですが気も遣います。追い波に越された後逆ヒールする時に、バウが風下に落ちますが、この時うっかり風を後ろに回してしまうとワイルドジャイブしかねません。波の前面に乗ってヒールして進んでいるときには切り上がるのを防ぐためにティラーを少し引き気味にしています。追っ手の走りはクローズホールドより細かく気を遣います。艇のローリングよりちょっとだけ早めに舵を当てる必要がありますが、そのタイミングを掴むには結構慣れが必要です。
ワイフも、リーチングやランニングの方があらかじめ大きく舵を使う必要があるので、クローズホールドより難しいことが分かってきたようです。

順調に距離を稼ぎ、観測塔の南で比良の山陰に入ったところで風が急速に落ちました。もうしばらく進むと案の定ぱったりと落ちてしまいました。2〜300m東では波も大きくてその向こうには白波も見えているのに、地形の影響の大きさにびっくりします。

ジブを降ろしシート類を片づけメインセールをブーム上に畳んで、機走に移りました。ちょうど片付け終わった頃に志賀ヨットクラブが目の前です。15時10分、帰港。早朝に出かけたレース艇はまだ帰ってきていないようです。

今日は午前中は我慢の時間でしたが、午後からは風が良かったので爽快なセーリングを楽しめました。

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bulletデッキブーツなどが届いた

1996年10月29日(火曜日)

舵社の通販で注文したデッキブーツ2足、デッキシューズ1足などが届きました。これで、須磨のころから履いていた古くなって底のゴムの硬化したブーツは廃棄。

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bullet快晴の一日、沖島周回

1996年10月27日(日曜日)

昨日は西高東低の冬型の気圧配置になり、気温も朝が10度を切り昼間も17度、強風が吹き「こがらし1号」とのこと。兵庫南部でも時折20m/s近い強風が吹きました。しかし、昨日夜の天気予報では、日曜日の朝には大きめの移動性の高気圧の前縁にかかる西日本は全域快晴、風も朝までには弱まり、朝方は冷え込むとのことでした。
先週の日曜日は強風が吹き荒れたので艇内の掃除と整頓に費やしたのですが、今日は絶好のコンディションのセーリングになりそうな様子です。

いつものとおりワイフと二人で出かけます。JR塚口駅7時59分発の電車に乗り、大阪駅で8時15分発の新快速に乗換えます。同じ便に何度も乗っているので、最後尾の1両目、2両目あたりに空席があることを知っていますから、大急ぎでホームを走り、新快速待ちの白の三角印のところに並び、何とか座れました。
8時45分、京都着。乗換えた湖西線の各駅停車でも何とか座れました。

和邇駅に着いて、駅前から北のビワコバレイ(蓬莱山や打見山)を眺めると、山の稜線沿いに紅葉が始まっています。雲一つない真っ青な空を背景に、空気が澄み切っているせいで山肌がくっきりと鮮やかに目に入ってきます。志賀ヨットクラブへ向けて歩く途中、国道沿いの酒屋さんに寄り、昼のおかずになるような缶詰など買いました。

志賀ヨットクラブにはまだ誰もメンバーは来ていないようで人影がありません。「今日は最高の天気だから、楽しんでください。」とハーバーマスターの藪さんが声をかけてくれました。その言葉どおりの快晴の秋空です。スタッフの2人が、ベランダでバーベキューセットの準備をしています。今日はこちらのほうのお客さんがあると見えます。

ワイフがロッカールームで着換えをしている間に、艇に入って出港の準備にかかりました。舫いロープ、フェンダー、燃料タンクなどを取り付けたところで、すぐに下架に取り掛かって貰いました。港内の桟橋に降ろされて、エンジンも一発で掛かりました。9時40分、出港。

昨晩までの強い風による波が少し残っていますが、すでに風は収まっています。コースはまず北東に向け白髭と沖島北端を結ぶ線の真ん中辺り、ちょうど伊吹山を目指すことになります。このコースの上に多景島もあります。最初は多少風があると思っていたのですが、エリの外へ出て直ぐにエンジンを止めると、ほとんど風がありません。その上、東かなと思っていた風がすぐに南東から南に変わります。

最初はやはり上りで走らせたいので、とりあえずコースを改めて長命寺方向に向かうことにしました。南の平野部では、田圃の藁や籾殻などを焼く煙が幾筋も見えています。風が殆ど無いからでしょうが、煙が緩くたなびいて高く上がっています。わずかに西に向いているようです。

そのうちに風はますます弱くなり方向も定まらなくなってきました、ごく弱い東からの風に変わったようなので、コースを北北東にとりジェネカーを揚げてみました。しかし、時々風が止まるのと、残りの波にたたかれるのとで、ほとんど推進力になりません。結局、もう一度エンジンをかけ直して機帆走にします。2度ほどこれを繰り返しましたが、待っていても風らしい風が吹いてきません。

仕方がないのでセールを降ろして機走で北東を目指します。センターボードを揚げて、フルスロットルで機走すると12km/h程度のスピードが出ます。機走しても結局やることは何もないので、機走しながらリーフ作業の練習をすることにしました。
レイジージャックでブームの高さを維持しておいて、メンハリヤードを緩めて、クリュー側のリーフロープを引き、タック側のリーフロープを引き、メインハリヤードを引き直してクリートする。これを一人で強風の中でこなすのは結構大変です。早め早めにタイミング良くリーフする事が肝心です。3回ほど繰り返して練習しました。やはり、元から付いていた4mmロープでは細すぎてクラムクリートが利きにくい。ロープを5mmにしてブームの両脇にクリートをつける必要があります。

11時半頃から昼食にしました。弁当とテルモスに入れた熱いお茶です。温かいお茶が最高に美味しかった。

ワイフは食事の後30分ほどキャビン内で休憩。コクピットは寒いというので、ジャージを2枚重ねてその上から雨具のズボンを着て、羽織るもの、被るもの、タオルを襟巻き代わりと、そこらにあるものを全部身に着けています。そろそろ防寒着にもなるしっかりとしたオイルスキンを用意しないといけません。

次第に風が良くなってきました。志賀ヨットクラブから北東に14km位のところまできています。白髭と沖島北端を結ぶ線の中央から少し北東に出た辺りです。北東からの風で沖島の北端を目指してセーリングに切り替えるます。メインセールはリーフのままジブを揚げると、これが風にマッチして適度なヒールで快適にビームリーチの走りに入りました。所々にぽつんと白い波頭が見える程度の快適な風です。ぐんぐんと沖の島の北端が近づいてきます。しかしこの風も長くは続かず再び弱くなってしまいました。

そこで機走に変えて沖島の湖岸近くを時計回りに巡ってみることにしました。ジブを降ろし、メンスルはリーフのまま、最北端の岩場にゆっくりと近寄りました。切り立った大きな岩場です。その岩場を回って沖島水道側に入ると、ブラックバス釣りのボートが何艇か出ていて、ブラックバスを吊り上げる瞬間を見物しました。水道の中は、風は殆ど無く暖かい日差しで湖面がきらきら光り何とも長閑です。
どうも風はますます落ちてきたようで、このまま機走で志賀ヨットクラブまで帰るしかなさそうです。沖島の水道の中程で、13時30分。志賀ヨットクラブまで13kmほどの距離です。フルスロットルで走っても帰港は15時というところでしょう。

沖島南端のエリを躱すところで、琵琶湖汽船の長命寺行きの船と行き交いました。引き波が大きいので、バウが乗り越して落ちるときに大きなスプレーを揚げました。
あとは、まっすぐにひたすら志賀ヨットクラブを目指しました。水色の艇庫が見え始めるころに、デッキの後片付けをして、桟橋のバス釣りのラインを気にしながら、15時15分入港。ワイフがバウに立ち、着桟後自分でバウの舫いを取りました。スターンは私が舫いました。

後の上架作業はクラブのスタッフに任せ、ロッカールームで着替えました。午前中は寒いくらいで汗をかくようなことも無かったのでシャワーを浴びることもありません。帰り際の挨拶をしていると、ハーバーマスターの藪さんから「折角のクルーザーなんだから、琵琶湖全体を、2日、3日かけて泊まりながら走ってください」と勧められました。
そのためには、寝袋、暖かい食事を作れる炊事道具などが必要です。20feetのセンターボーダーなのでスペースは余りありませんが、いろいろ工夫をしてみようとワイフと話しながら帰路に就きました。でも当分は、二人一緒に休める連休というのがなかなか調整できそうにはありませんが。
帰りの田圃道は、未だ残っている日差しが暖かくて、澄み切った空気がとても爽やかでした。
しっかりお腹も減っていたので、和邇駅前のスーパーでサラダ巻きを買って駅のベンチで食べました。美味しかった。山野へのハイキングなどで食べる弁当がとてもおいしく感じられますが、あの感じです。

爽やかで快適なアウトドア遊びの一日でした。

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bullet琵琶湖は強風荒れ模様、艇の掃除をして過ごしました

1996年10月20日(日曜日)

今日もワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。昨日の内に、電話で出かける旨伝えてあります。

総選挙なので、朝7時20分に家を出て近所の小学校で投票してから、JR塚口駅で何時もより一つ早い電車に乗りました。ところが、大阪駅で乗換える新快速は何時もと同じ便なので和邇駅への到着は何時もと同じです。

曇り空ですが、時々晴れ間が覗きます。雲の流れが激しくてかなり強い北の風です。和邇の駅前のロータリーでも、時折相当強いシフティな風が吹きまくり、街路樹の枯れ葉や砂埃を巻き上げています。
前回が9月15日でしたから1ヶ月ぶりです。

志賀ヨットクラブに着いて湖面の様子を見ると一面の白波です。陸置き艇の並ぶヤードでもゴーゴー、ヒューヒューという風音が喧しく聞こえます。今日はセーリングは止めて、艇内の掃除と整理をすることにしました。
艇内のクッションをすべて取り外して、その下にある物入れを点検し、掃除機をかけました。梅雨前の湖面で発生した羽虫の死骸が未だにたくさん残っていて吸い込まれます。潰れてこびり付いているところは雑巾で拭き取りました。いつの間にか埃で薄汚れていた白いクッションも雑巾で拭いたら真っ白になりました。来年の夏まで使わないような物、滅多に使わない物などをクッションの下の物入れに収納しました。

10時30分から11時頃にかけて3艇ほど出港してゆきました。湖面全体に白波が立ち、時折びっくりするような強風が吹き荒れます。ディンギーをちょっと大きくしたようなBUDDYと私達夫婦の腕ではとても出て行けるような風ではありません。お昼まで待っても風が収まる様子はありません。弁当を食べて、艇内の片づけが済んだら、その後は艇の上半分の拭き掃除をすることにしました。
1ヶ月の間に、コクピット内に埃や枯れ葉のくずなどが吹きだまっています。これをすっかり拭き取ると元の白さを取り戻しました。

今日のセーリングは諦めて、14時半に志賀ヨットクラブを後にしました。

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bullet白髭神社沖往復

1996年9月15日(日曜日、敬老の日)

天気予報では、高気圧に覆われて秋晴れの晴天になるとのことだったので、土曜日のうちに志賀ヨットクラブへ予約の電話を入れておきました。
いつもの通りワイフと二人で、JR塚口駅7時59分の電車で出発し、大阪駅での新快速に、京都駅で湖西線に乗換えて、和邇駅へ着いたのが9時15分。

志賀ヨットクラブまでの田圃道はすっかり稲穂が実って快晴の日差しに黄金色に輝いています。稲刈りも始まっています。昔の鎌と人手による稲刈りと違って、今では刈り取り・脱穀・袋詰めまで全て小型のコンバイン1台でやってしまうので、稲刈りの田圃に人影は見えません。せいぜいコンバインの運転をしている作業員と脱穀した籾米詰めた袋を小型と楽に積み込む作業をする2、3人の姿があるだけです。実に静かな稲刈り風景です。

9時35分、志賀ヨットクラブに着きました。電話で予約していたので、艇はすでに浜の桟橋の南側に舫ってありました。ヤードに陸置きされている艇の風見では南東寄りの風に見えます。今日は白髭神社を目指し、15時の帰港予定であることを告げておきました。

桟橋にはBUDDYの他に2艇が北側に舫われていました。桟橋の先端では釣り人3人がルアーでブラックバスを狙っているようです。ワイフがロッカールームで着替えて出てくるまでにエンジンを始動してアイドリング状態にしておくことにしました。燃料タンクは既に接続されていて下架して浜の桟橋に出す時に一度起動されているので、一発でかかりました。ワイフが乗り込んで9時45分に出港。

野洲川河口の北側にクルーザーが20艇ほど見えるのはレースのようです。時々レース前の合図のガンが聞こえます。エリの外に出ると風は東寄りの微風です。セールを揚げました。とりあえず沖島を目指して沖に出てから、白髭神社沖を目指すコースに向けました。

ヘルムはワイフ

写真を撮るためにヘルムを交替

ジェネカーに最適の風です。すぐにジェネカーを揚げることにしました。ジェネカーシートの先端の始末がされていないままだったので、ちょっと時間を取ってガスライター型のバーナーで熱加工しました。今日は左右のジェネカーシートを準備して、まずスタボータックでジェネカーを揚げて北を目指します。一気にジェネカーを引き上げるとタックが捩れていましたが、これは簡単に手で戻して、ジェネカーがきれいに風を孕みました。途端にぐんとスピードが増します。

展開したジェネカー

ジェネカーで白髭沖を目指す

最初は波が無くてのっぺりとした湖面に縮緬皺がよる程度の風でしたが、徐々に安定して吹いてきてジェネカーでのビームリーチの走りが小気味良い。時々8〜9km/hの速度が出ています。
ワイフがティラーとメインセール、私がジェネカーをコントロールします。11時20分頃まで快適な風が続き、北小松沖あたりまで一気に進みました。しかし白髭神社の沖の鳥居が見えてくる頃風が落ちてきました。

ジェネカーを降ろしてジブに変え、私がティラーを持ち、交代で食事を摂りました。

交替で食事

11時35分、白髭神社沖を通過。風はますます弱くなりました。11時50分機走に切り替え、今日は目的地を安曇川尻までのばすことにします。ワイフは昼寝です。機走を続けて12時20分頃、やっと良い風が出てきました。風は少し北寄りに振れています。タックしてポートタックに変え、東を目指します。湖西の岸から離れて沖島との中間辺りまで来たところで再びタックを換えて一路志賀ヨットクラブを目指します。風が北なので,ほとんどリーチングの走りで帰れます。

直ぐに風が良くなってきて所々に白波が見え始めました。波はまだ殆ど無いので快調にスピードが上がります。速い時で12km/h位のスピードです。ブロードリーチでぐんぐん進み、14時頃には観測塔の近くまで戻ってきました。その先はほとんど風が無いように見えます。風向と比良の山陰の関係なのでしょう。JR志賀駅の辺りから南東に延ばした直線の北東側では水面の所々に白波の見える風で、南西では殆ど風のないのっぺりした湖面が湖岸まで続いています。風のないエリアのヨットのセールはだらりと下がって船足もなく同じ位置に止まっているように見えますが、風のあるエリアの艇は大きくヒールし小気味よいスピードで走っています。

この風と波の境界線をを出入りして、クローズホールドの走りを試してみました。強風域ではヒールがとても大きくなりウェザーヘルムが強くなるので、この位の風からリーフした方が良さそうです。白波が見えたら即座にリーフの準備を行うというのをルーティーンにしましょう。

14時40分、志賀ヨットクラブへの帰港コースにはほとんど風が無いので、機走することにしました。セールを降ろしブームカバーを掛け、デッキの後始末をして、15時10分、着桟。

シャワーを浴びている間に艇は陸揚げされて定位置に移動が完了していました。最後にコクピットとキャビンの整理をして、15時40分にクラブを後にしました。

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bulletジェネカーの練習、リーフの練習

1996年9月8日(日曜日)

ワイフとと二人で何時ものとおりJR塚口駅7時59分発の電車で出発。大阪で新快速に、京都で湖西線の普通電車に乗換えて、和邇駅には9時15分着。黄金色に実った稲の刈り取りが始まったたんぼ道を、赤トンボを見ながらぶらぶら歩いて、9時40分頃に志賀ヨットクラブへ到着しました。

昨日電話で乗艇すると知らせておいたので、既にBUDDYは桟橋に舫われていました。電話で依頼していた燃料の補充も済んでいました。天気は曇り。時折薄日が差す程度です。デッキの表面が熱くならないので快適に過ごせそうです。
ハーバーマスターの薮さんに今日の天気と風を確認すると「北寄りの高気圧の後半に覆われているので夕方まで天気はほとんど変わらない。風も北から東の間でほとんど変化はなくて、風を捜してあちこち動くというような天気だろう」とのことでした。

帰港予定時刻は15時いうことで、沖島方面を目指して9時50分に出港。セーリングの準備は、エリの外に出てから行います。艇を沖島方面に向けます。弱い風がちょうど沖島の方角(東北東)から吹いています。ワイフがジブの取り付け準備をする間に私はメインセールを上げる準備に掛かります。
ワイフはジブの準備作業に関してはタックのシャックルの取り付けが堅くて苦労する以外は、ハンクスの取り付けなどの手順はマスターしたようです。クリューへのシートの結び(もやい結び)はマスターできたようです。
メインセールについては,前回は上手く行かなかったリーフの練習が出来るように予めリーフラインをクリューとタックに取り付けておきました。前回はリーフ用のクリュークリングルからブームの中を通ってグースネックに出てきたリーフロープをタックのクリングルを通して1本のリーフロープでクリューとタックを同時に引き下げようとしたましたが、これは不味かったようです。取扱説明書にはそのように使いされているしリーフロープも1本しか付属していませんでした。しかしこの通りにやるとクリューもタックも中途半端な引き具合にしかなりませんし、夫々をコントロールすることも出来ません。不思議です。
今回は、私の知っているやり方、クリューのリーフロープとタックのリーフロープの2本で分けて引くようにセットしておきました。比較的多くの艇では、タックのクリングルをグースネックにあるホーンに掛けるようになっていますが、この艇にはホーンがありません。グースネックには3本のロープが引けるようにクラムクリートが並んで3個用意されていますので、これを使ってタックのリーフロープとクリューのリーフロープをグースネックの下側でマストと平行に引くことが出来ます。

出港直後は湖面に小さな皺が出来る程度の微風があったのですが、この風もだんだん弱くなってきました。後から出港してきた2艇は機走でどんどん沖に出て行きます。11時頃ちょっと風が出てきたかなと思えましたが再び無風状態に戻ってしまいました。ワイフは昨夜の持ち帰りの仕事で寝不足だったこともあって気分が悪く横になって転寝状態です。

11時30分頃から昼食にしました。梅干しだけの、日の丸弁当。簡単ですが梅干しの味で食欲が沸いて、アウトドアではこれが結構美味しいのです。今日はウーロン茶ではなくてポカリスエット1.5リットル。

食事が終わってから、微風向きのジェネカーを揚げてみることにしました。極弱い北からの風です。志賀駅の沖合くらいなので、そこから沖島あるいは長命寺などの東へ向けてのコースを取ります。ジェネカーでカバーするのに丁度良い角度です。スタボーサイド側のマスト下にジェネカーバッグを置いて、タックを引き出しバウのジェネカーポールの先端のタックロープにセット、ピークをハリヤードに繋ぎ、大外を回したシートをクリューに結びました。この手順一はほぼ慣れました。今日は東へ向けてのポートタック1本コースなのでシートは1本だけにしました。一気にハリヤードを揚げるとジェネカーがふわりと展開できました。
ついさっきまでは舵の効きも分からないほどだったのに,行き足が着いてきました。観測塔の北側でセーリングクルーザーが3艇互いに横抱きして停め水遊びしているのをかわして、湖東を目指します。

湖の真ん中ですが、マストの上のウインデックスやバックステイ、スプレッダーなど艇のあちこちに赤トンボが止まり周囲を飛び回っているものもいます。

風が少し東に寄ってきたので、ジェネカーでのコースはどうしても南に落とさざるを得ません。そうこうしている内に余りに弱い風に気を許していたのか、気がつかないまま風が後ろに回りワイルドジャイブしてしまいました。もたもたしている内にだらりと垂れたジェネカーがフォアステイに絡みそうになり、大慌てで元のタックに戻したところ、そのほんの一時だけジェネカーが風を孕んだものですから今度は艇が大きくヒールしてウエザーヘルムが出て艇が急に風に向かって回頭し始めました。
ヘルムを正せばよいものを慌てているので大急ぎでスピンハリヤードを緩めてジェネカーを降ろそうとしてしまいました。マストの前に回って両手でジェネカーをたぐり何とか無事に降ろすことが出来ました。しかし、降ろし終わって落ち着いて風を見ると、ちっとも強い風などではなくて相変わらずの微風です。その中でのちょっとした風の息を受けて大騒ぎをしてしまった訳です。気を抜いて周りの状態に注意を払っていなかった結果、大慌ての上の判断ミスです。反省。

あいかわらず風は弱いので懲りずに再びジェネカーをセットしました。今度はジャイブ出来るようシートも両サイドにきちんとセットしました。ジャイブしてジェネカーの入れ替えもなんとかうまく行きました。
ティラーを引いて艇を風下に落とすにつれてジェネカーのシートをいっぱいに出す。ブームが返るところでジェネカーのシートを放し、反対側のジェネカーシートを大急ぎで引いてジェネカーをフォアステイの向こうを通して入れ替える。
とにかくシートを躊躇せずどんどん引くことが大事のようです。もう一度ジャイブしました。2度目は落ち着いて難無く出来ました。この2回の練習の時は、ジェネカーのシートを引くのはワイフの役で、ヘルムとメインセールのジャイブの操作は私でした。ワイフはまだジャイブの操作がマスターできていませんので、ジャイブが入る操作の前にはヘルムは私の役と言うことになります。

風が徐々に少し強くなってきました。艇はジェネカーに引かれるようにでぐんぐん走り出しました。ハンディGPSで見るとスピードは12km/h位です。徐々に風が強まり、北を見回すと波も大きくなってきたようです。風が強くなりすぎるとジェネカーを降ろすのが大変になるので、早めに降ろすことにしました。艇を少し風下に落としてジェネカーがつぶれる位置に持ってきてワイフにティラーを渡しました。風があるとジェネカーの取り込みも結構腕力が要るので、多分ワイフでは難しいと思ったからです。ティラーを渡すとすぐに、スピンハリヤードを降ろすつもりでストッパーを外したのですが、指が触れて並んでいるタックロープのストッパーも外れてしまいました。風があるのでハリヤードとタックロープは一気に出て行き、ジェネカーは艇の右舷側に舞い上がって徐々に水面に落ち始めました。大慌てでバウに出て落ちてきたジェネカーの一部をつかんで両腕を回して大車輪で引き込みました。一部が水に浸かりましたが大きな抵抗もなく引き上げることが出来ました。
濡れたままですが、とりあえず次回の展開のためにピークとタックとクリューをきちんと取り出せるようにバッグに詰めて、タックロープ、ハリヤード、シートを整理しました。

やっと落ち着いてジブを揚げました。この間大慌てでしたからほんの一時のように感じたのですが、5分くらい掛かっていたのかも知れません。ジブを揚げた頃には風もかなり強まり、快調に走っています。程良いヒールです。ワイフにティラーとメンシートを操作の練習をさせるため、二人ともライフジャケットを装着しました。

13時になったのでタックして艇を湖西に向けます。このころ風はもう一段強くなり、北の方にはちらりと白波が見え始めました。しかし風はそれ以上は強くならず、この艇と私たちの技量では最も快適に走れる状態です。風は少し東に振れてきて、東北東になりました。タックを変えながらアビームからリーチングの走りを繰り返して、志賀ヨットクラブに向かいます。

風が少し落ちてきたところで、リーフの練習もやってみました。
ワイフがティラーを持ってまずクルーズホールドに維持する。わずかに風に立てて、私がメインハリヤードを緩める。ブームが降りてくる。ブームエンドが艇内に降りるような位置において、まずクリューのリーフロープを引き位置決めしてクリートする。ここでブームエンドが上がる。次に、ラフのリーフロープを引いて位置合わせをしクリートし、即座にメインハリヤードを引いてラフを決める。直後にワイフはティラーを引いてクローズホールドのトリム調整を行う。これで、ヒールはかなり減って安定した走りになる。
これを3回練習しました。そのうち1回では、クリューのリーフロープがクラムクリートから外れてブームが降りてきました。風が強かったら、ここでブームが大きく振れて暴れるところです。ブームのサイドか下部にクリートを付けてグースネックのクラムクリートからそこまでロープを引いて固定しておく必要があります。それと、ブームが下がってこないようにレイジージャックなどを付ける事も必要です。この辺りの改造をヤマハと相談することにしました。

14時30分、帰港することにしてセールを降ろしました。セールの始末をしながら、機走でまっすぐ志賀ヨットクラブを目指します。15時過ぎ、ほぼ帰港予定時刻どおりに入港。

艇の上架は10分後とのことなので、先にシャワーを浴びることにしました。
上架後に艇の中の備品と持ち帰る物を整理し、濡れているジェネカーは半分ほどキャビン内に広げておきました。

和邇駅16時29分発の電車までには時間の余裕があるので、駅前のスーパーでヘレカツの巻きずし買って来てホームのベンチで食べました。これが出来立てでとても美味しい。ちょっとお行儀が悪いのですが、夕方の殆ど人の居ないホームなので、最近このパターンが多い。
堅田駅で乗換えた新快速ではうまく座れたのでそのまま大阪直行。18時に帰宅。

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bullet白鬚浜往復

1996年8月25日(日曜日)

3週間ぶりにワイフと一緒に志賀ヨットクラブへ出かけました。滋賀県南部の天気予報は、曇り時々晴れ、北東の風。
いつもの通り、JR塚口駅7時59分の電車で、大阪から新快速、京都で湖西線に乗換えて、和邇駅9時15分着。

晴れ間のある曇り空で、風は微風。湖面に小さな波があります。9時40分頃、滋賀ヨットクラブに到着するとBUDDYはヤードに引き出してあって、何時でも降ろせるようになっていました。14日から15日にかけての台風12号の影響は、風が西からだったこともあって被害は全くなかったとのことでした。風対策に、艇のバウのクリートには2本の舫いロープが、スターンのクリートには40mのアンカーロープが使われていました。

早速下架して貰いました。港内の桟橋に降ろして、燃料タンクを取り付け船外機のスターターロープを引くと1回で掛かりました。浜側の桟橋に移動することはせずに、白髭浜往復、15時帰港予定を告げて、そのまま9時50分に出港しました。

エリをかわしてしばらくしたところで、北東に向けてゆっくり機走しながら、セールを揚げる準備にかかりました。まず、バウとスターンのロープを整理して船内に仕舞います。40mのアンカーロープはまだ新しいので硬くて扱いにくい。なじむまで何回か捌いてはコイルする必要があります。
ワイフがジブのセットにかかります。セルフタックジブのシートがスカイライトハッチの縁に引っかかる場合があるので、それを防ぐためにスカイライトハッチの上を跨いでショックコードを張っているのですが、そのショックコードをジブシートの上に掛けてしまうというミス。うっかりやりそうなミスなのでお互いに注意が必要です。
ワイフがジブをセットしている間に、私はブームを降ろしてメインセールを上げられるように準備します。ブームカバーを取り何時でもメインセールを上げられるようにします。メインハリヤードをトッピングリフトのようにブームエンドに繋いでブームを支えていますので、これをメインセールのピークに繋ぎ変えます。今日はリーフ作業の練習もしたいので、メインセールを揚げる前にリーフラインをセットしておきました。
メインセールを揚げ、続いてジブも揚げました。風は微風ですが徐々に良くなるようです。エンジンを切って、チルトアップしました。

風は東北東。スタボータックのクローズホールドで白髭の沖を目指して上りの1本コースを取ります。波があるという事は琵琶湖のあちこちで、そこそこの風が吹いているということです。7月のような赤潮がなくて湖面が随分きれいに見えます。水も澄んできたようです。風は時々弱くなることはあっても程良い微風が続いています。

11時30分頃から、梅干しとご飯だけの日の丸弁当を食べました。ペットボトルには凍らせたウーロン茶が入って居ます。冷たくて美味しい。
11時50分頃、ちょうど2時間で白髭神社の沖近くまで来ました。湖の中に立つ赤い鳥居が見えた頃、風が徐々に東に回って弱くなりました。鳥居の正面に来たところで参拝しました。

白髭浜の沖のエリをゆっくりかわしたところで、12時10分になりました。風が落ちてきたので、ここで引き返すことにします。風は東なのでスターボーのままクローズホールドにして北東に向かい、湖西の浜から離れ沖合に向かいました。湖西の山の影響を受けなくなると風はすこし北寄りに戻りました。そこでタックしてリーチングでまっすぐ志賀ヨットクラブを目指しました。この辺りで、湖岸から北東に向かうディンギ(Y15U、セールナンバーが28??)に出会いました。私が去年まで須磨で乗っていたBUDDYUと同じ艇です。ちょっと懐かしかったです。今乗っているBUDDYVは20feetですからちっとも大きくはないのですが、それでも傍から見るとY15Uはあんなに小さかったのか!と驚きました。

午前中はそれなりに風が良かったので、落ちるとほんとに無風のように思えます。諦めて機走に切り替えました。機走にするとまた風が出る、そこでまた帆走に切り替える、これを2回繰り返しました。

JR志賀駅が右手に見える辺りで機走に切り替えて志賀ヨットクラブを目指しました。前方に志賀ヨットクラブ所属の大型艇が1艇、その他に南から帰ってきた艇に先行されました。どちらも水面係留の大型艇で、ファーリングシステムを持った優雅な艇です。この先行する2艇が港内でもやい終わるまで桟橋沖で10分ほど待って、15時15分、港内の桟橋に着けました。

ワイフはシャワーと着替えに。私はそのまま艇の後片付けをしていると、ヤマハの堀江さんのところから届いた10mm/10m舫いロープが4本とウインチハンドル1本を、ハーバーマスターの藪さんが艇まで届けてくれました。その時今日のセイリングの様子を話し、秋の琵琶湖の風とジェネカーのこととリーフ作業についての基本を教わりました。
(1)秋は吹かないことが多いが、吹くと強風になる。
(2)ジェネカーは効率がよいので効果的だが、ジャイブはやっかいなので、操作に慣れること。
(3)リーフは,強風時には必須。大きくヒールするよりセイルエリアを適切に縮小してコンスタントに帆走した方が堅実で速い。リーフするときには思い切ってブームを出すこと。中途半端だとセールが降りてこなこなくて結局時間を食う。ブームを出したら、まずタックを決め即メインハリを上げる。これを即座に行い、その後でクリューを決める。シバーしてブームが振れるので頭に注意。リーフの練習は大事だ。自分のリーフシステムに合わせて手順を決めておくことだ。

夏が終わって、ヨットクラブを訪れるメンバーがめっきり減っています。3週間前の大賑わいが嘘のように静かです。カタマラン型クルーザーの宮脇さんと顔を合わせました。今日は午後からで艇は出さなかったとのこと。私も1973年から5年間、マイアミ浜でカタマランのホビーキャット
14に乗っていたことがあると話していましたので、時々声を掛けてくださいます。

稲穂が垂れ始めた田圃の中を抜ける農道を辿って和邇駅へ向かいます。アキアカネが群れ飛んでいます。

和邇駅16時29分発の電車で、堅田で姫路行きの快速に乗り換え、塚口駅には17時50分着。18時に帰宅しました。

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bulletGPS購入

1996年8月20日(火曜日)

1ヶ月以上入荷を待っていたガーミンのハンディGPSが届いた。

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bullet八屋戸浜でアンカリングして水遊び

1996年8月4日(日曜日)

ワイフと私に息子を加えて志賀ヨットクラブへ出かけました。息子が志賀ヨットクラブへ来るのは初めてです。

いつもの通り、JR塚口駅7時59分発の電車で出発、志賀ヨットクラブには9時35分に着きました。
和邇駅からの途中、国道沿いの酒店で1.5リットルのポカリスエットを購入しました。今日は、そのほかに飲み物として凍らせたウーロン茶と冷やしてペットボトル・クーラーに入れたものの合計3リットルのウーロン茶があるので安心です。
今日は、水遊びを主にしていますので、クラブの北側の浜近くでアンカリングして泳いだり飛び込んだり潜ったりして遊ぶことにします。

さすがに夏休み中の日曜日なので、メンバーが沢山訪れています。その混み合っている日曜日に出かけるのに、予約電話を入れていなかったので専務にはちょっと嫌な顔をされました。今日はレースの出場艇などもあって、朝の作業が集中したようです。
艇の出港準備をして、しばらく待機。10時10分に下架。そのまま乗り込んですぐに出発しました。帰港予定時刻を15時と告げて、ハーバーマスターにアンカリングして泳ぐのに適当な場所を聞くと、ここの北側へ三つ向こうのエリを越したあたりが良いと思うとのこと。「エリを切らないように注意して下さい」とのことだった。それと「強い夕立がありそうです」とのこと。

目の前のエリをかわしながら、ゆっくりと機走で北上。さすがに日曜日は、モータボート、水上バイク、ディンギー、セーリングクルーザー等々見渡すと相当の数の船が見えます。2日前の金曜日に来た時にはあんなに静かだった琵琶湖にモーターボートと水上バイクの高いエンジン音が響いてとても静かな湖畔とは言い難い状態です。ゆっくりとアンカリングに適したそして湖岸に人影の見えないような場所を探します。
八屋戸浜の少し南あたりに、水泳場ではない一般の浜の上に和風建築の民家とその北に2軒の別荘のように見える洋風の建物がありますが、その浜から50mほど沖にアンカーを入れることにしました。10時40分、30mほどアンカーロープを出したところでバウのクリートに止めアンカリング完了。

艇は極弱い北東の風に従って、それと分からないほどにゆっくりと左右に振られています。早速水着に着替えて泳ぐ準備をしました。息子とワイフは、最初はスターンのラダーを使って水に入りました。6リットルのソフトポリタンクを浮き代わりに使って遊んでいます。
私はバウのパルピットから飛び込んでみました。水深が5m以上あるので安心して飛び込めます。白いアンカーロープが緩やかに傾斜して深みに沈んで見えなくなります。水は結構きれいで艇の周りで泳いでいる姿も潜っている姿もくっきりと見えます。

遊んでいる内に、モータクルーザーが1艇近くにアンカーリングしました。年輩の男の人が1人,あとは5人の女性、年輩の女性から子供まで。アンカーするとすぐに全員ライフジャケットを着けて、コクピット廻りからスターンに駆けての水洗いが始まりました。それが済んでからやおら昼食が始まったようです。
11時30分ごろ、こちらも飛び込んだり泳いだりしてお腹が減ってきたので、おにぎりの昼食。風は殆ど無くて、空は曇り空。焼けるような日差しがないので、過ごしやすい。

食事の後はまた水に入って一遊び。素潜りのセットを出して3人で湖岸まで泳いでみました。湖岸に近付くにつれて底に白い砂が見え始めるとすぐに目の前に薄緑の藻の壁が立ちはだかってびっくりしました。良く見ると波打ち際までの浅場はこの藻が埋め尽くしています。浜や湖岸沿いに人の姿がないはずです。水深が2mくらいのところから浜までは、殆どこの藻で埋め尽くされていました。結局浜には近付かずに艇の廻りで遊びました。

13時頃、ぽつぽつと大粒の雨が落ちてきました。大慌てでコンパニオン・ウエイのハッチを閉めます。しかし、最初の大粒の雨だけで後は続かず直ぐに止んでしまいました。空は時々雲の切れ目に青空が見えその時には強い日差しになるのですが、基本的には曇り空です。

14時、十分に泳いで遊んだので、場所を変えて松ノ浦の浜の方まで行ってみることにしました。バウでアンカーロープを引いて立錨の位置まで来ます。アンカーが底からすーっと離れる感じがロープを引いていて分かりました。アンカーロープは、アンカーからの3mくらいは湖底の砂泥で薄茶色に汚れていました。アンカーを上げる時には、ゆっくり上げているつもりでいたのですがもう少しでハルを擦ってしまうところでした。艇が波で揺れている時などには十分にタイミングを計らないとハルにアンカーをぶつけることになりそうです。注意が必要です。
松ノ浦から青柳浜へかけては水上バイクの基地のようになっていて、多数のジェットスキーやマリンジェットがミズスマシのように四方を走り回っていて危ないので、大きく沖合に出てUターンして帰港することにしました。

途中、機走しながらアンカーロープをスターンに流して水洗いしたらすぐに綺麗になりました。濡れている内に水洗いすることが肝心ですね。

14時30分帰港。すぐに上架作業に移りました。丁度、レースに出ていた艇が群れて帰って来たのでその前に上架を終えてしまいました。ワイフは先にシャワーへ。息子と私はデッキとキャビンの後片付けをしました。アンカー、フェンダー、舫いロープ、燃料タンクを仕舞いました。小物は息子がサイドの棚に整理してくれました。コンパニオンウエイを閉めて、施錠。大急ぎでシャワー室へ向かいます。やはり日曜日です。シャワー室も混んでいました。

湖岸の旧道をゆっくりと和邇駅に向かい、15時31分発の電車で帰りました。

セーリングとは違って、のんびりと楽しい一日でした。

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bullet長命寺港往復

1996年8月2日(金曜日)

ワイフと二人で琵琶湖へ出かけました。
いつものとおりJR塚口駅7時59分発の電車に乗ろうとしましたが、平日はダイヤが違います。うっかりしていました。接続が悪くて、志賀ヨットクラブに着いたのは何時もより30分遅れの10時5分でした。

平日なので全く人影がありません。天気は晴れ、風は北東の微風。波は全く無くて,所々にある風の通り道がさざ波になって湖面に広がっています。
クラブのスタッフはヤード周りの草刈りに励んでいましたが、私達が着くとすぐに艇を降ろしてくれました。

前回の乗艇時に燃料漏れか?と疑ってヤマハに点検してもらったエンジンの確認をしました。
ヤマハの専門家の点検では、燃料漏れは無いので問題ないということでした。漏れたように見えたのは、キャブレータの中に多少残る燃料がチルトする事で僅かに垂れたケースで、運転時に漏れる様なことはないので問題はないとのことでした。この件をハーバーマスターの藪さんに報告しました。

早速その船外機の始動に掛かります。燃料タンクを接続して、プライミングしますがポンプに手応えがありません。横で見ていたハーバーマスターの藪さんに教わって、燃料ホースの空気抜きを行ってみました。ホースのエンジン側を外してプライミングしながらホースの先端のバルブのボールを柔らかい割り箸の先で押してやると燃料と一緒にホースの途中に入っている空気が押し出されて、燃料送りがスムーズになるとのことでした。

燃料ホースの再接続、起動時のアクセルレバーを押し上げ、チョークを引いて、スターターロープを一引き。ところが、何回か引いても掛かりません。スタッフの女の子に替わってやってみましたが同じです。そこで目がエンジン周りに行ったら、何とエンジンストップ用の赤いコードが外れているのに気が付きました。これが外れていたら、バルブがスパークしませんから決してエンジンは掛かりません。馬鹿丸出しです。
コードを繋いで、スターターロープを引きこと3回、めでたく起動しました。

10時40分、長命寺を目指して出港。
エリを出たところで、ワイフがジブをセット、私がメインセールの準備。ワイフにヘルムを任せて、私が一気にメインセール、ジブセールを上げて帆走に移ります。エンジンをカットし、チルトアップ。北東の微風ですが波が全く無いので、ロスなくスムーズな走りです。まずスタボータックのクローズホールドで北を目指しました。僅かな風を掴むと、バウがサワサワと音を立てて進むのが聞こえます。二人ともリーサイドに座って艇をヒールさせながら静かに進みます。

11時半頃、近江舞子へ向かう琵琶湖汽船の「ビアンカ」に追い抜かれました。
12時30分、やっと北東の良い風が吹いてきました。タックして長命時方向を目指します。

ヘルムはワイフ
ヘルムは私

ほど良い風で快適なセーリングです。ワイフのヘルムもかなり的確になってきました。途中で何回かタックの練習を入れます。タック後の次のコースを決めるのがまだ不安定です。そしてまだ動作が遅いので、風が強まった時のタックは難しそうです。

14時10分頃から、徐々に風が北寄りに変って強くなってきました。天気は晴れ上がって、上空に大きな雲はないので、大きな風の乱れではなくて、湖面と平野部の間の狭い地域での風の動きのようです。長命寺港のヨットのマストが見える辺りまで来た頃に、ちらほらと白波が見えるようになりました。沖島の水道の辺りは通り抜けの風の影響か白波がかなり大きくなっています。

この良い風を受けて早く帰港できるように、そこでタックして志賀ヨットクラブを目指すコースに変えました。志賀ヨットクラブはほぼ真西の方向なので、艇を落としぎみにしてスピードを上げアビームリーチで走らせます。これだとヒールも少なく実に快適な速さで走り始めました。一番速かった時には13km/h程でした。この風が15時頃まで続いてくれました。

しかし、15時20分頃には、すっかり風が落ちてしまいました。先ほどまで余りに快適に走っていたので、湖面の静かさが嘘のようです。直ぐにあきらめて機走に移り、セールを降ろしデッキの後片付けをしながら志賀ヨットクラブを目指します。15時30分、帰港。

上架した後で、先日浜側の桟橋で落としたウインチハンドルを、素潜りして探してみました。桟橋の先端近くは2.5〜3m程度の深さのようですが、底には一面に藻が長い物では1.5mくらい茂っているので、そこに落ちた物を探すのは並大抵の作業ではないことが分かりました。すぐに諦めました。ハーバーマスターによれば、夏の終わりには藻が切れるので、それからもう一度気を付けて探してみようとのことでした。しかし、波で砂が動くので、砂を被ってしまえばまず見つからない気がします。

シャワーを浴びてから、16時30分にクラブを後にして、和邇駅17時5分の電車で帰りました。

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bullet船台完成、燃料漏れ?の現場確認

1996年7月27日(土曜日)

ヤマハの堀江さん志賀ヨットクラブで待ち合わせて、21日に発生した燃料漏れを疑わせる件とメインセールとスライダーを繋ぐプラスチックのハンクスが外れる件を現場で確認して貰う予定です。

今日はこの2件が課題なので、セーリングは無し。そういうことなので私一人で、いつもよりちょっと遅く、9時50分頃に志賀ヨットクラブへやって来ました。快晴、南の風か程良く吹いていて帆走には最適のコンディションですが、残念。

艇の置き場へ行ってみると、船台が出来上がっていました。今までは、ほぼ同型の既存の船台を借り受けていましたが、これはBUDDYの船形に併せて新調したものです。ハルがピッタリと収って、外から見た目にも水平で船台にバランス良く乗っています。今までの借り物の船台は、前後のバランスが悪く、コクピットに雨水が溜ったのですが、新しい船台では水に浮かんでいる時同様にコクピットは僅かに後が低く、きれいに水が抜けます。
注文しておいた燃料タンクも届いていました。これで同型の燃料タンクが2個ありますから、満タンの燃料タンクを予備に出来るので長時間の機走でも安心です。

コンパニオンウエイとハッチを開けてキャビンに風を通しました。ブームカバーを外して、メインセールのハンクスの外れているのを確認できる状態にしました。
そこまでやっておいて、ヤマハの堀江さんの到着を待ちました。

10時10分に、堀江さんが到着。

まず、エンジンの燃料漏れ?の状況の説明と確認をしました。燃料カットの赤のコードの部分にオイルが付着して残っていたので、まず外から見た時点で堀江さんにも何かが漏れて付着している状況を確認して貰えました。
堀江さんがエンジンカバーを外して、チョーク部分を中心にチェックしています。エンジンカバーの前縁にもオイルの残りが付着しているので、何かが(たぶん燃料が)漏れていたのは間違いありません。何処から、何時、どのように漏れるのかは、専門のサービスマンにチェックしてもらわないと堀江さんの手では確認できないとのことで、この件は安全のため再点検することになりました。

メインセールの接続用のハンクスについては、金属製のシャックルなどに変更するのはセールの動きを阻害するので良くないとのこと。BUDDYの場合、セールを取り換えるためにスライダーから外すことはまずないので、ハンクスのピンの部分を瞬間接着剤で接着するという案になりました。

前回水に落として失ったウインチハンドルについては、同型を注文したがまだ届かないと言うことで、似たような古いステンレス製のハンドルを探して持ってきてくれました。これがぴったり填ったのでプレゼントしますとのことで、有り難く頂きました。ウィンチは左右2個あるので、ハンドルも2本あれば便利です。

これらの確認は30分ほどで終了しました。次回の乗艇を8月1日あるいは2日頃に予定しているので、それまでに燃料漏れの件は確認して欲しいと願いました。

この後、折角やってきてまだ時間もあるので、BUDDYの外周りを洗うことにしました。洗剤は使わずにブラシとホースで洗い流します。コクピット廻り、デッキ、ハルをブラシでこすると、さすがにまだ新しいですからすっきりと洗い上がりました。
途中で、ハーバーマスターの藪さんがコクピットの水の抜け具合を見に来て、すっきりと抜ける状態を確認して満足そうでした。私も船台の出来具合が非常に良くて満足していましたから、お礼を言っておきました。

洗艇は11時半頃に終了しました。

新しい船台と洗い終わったハル

艇内の整理をして、ブームカバーを着けて、本日の作業は完了。

船台と燃料タンクの支払いについては、燃料タンクの請求書が来てからで良いとのことで、後日一括で請求してもらうことになりました。

予定していた事は午前中に片付いたので、和邇駅前のスーパーでお昼の食べ物を買って電車の中で食べながら帰りました。

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bullet白髭沖で燃料漏れ?発見、セーリングで帰港着桟

1996年7月21日(日曜日)

ワイフと二人で琵琶湖へセーリングに出かけました。いつもの通りJR塚口駅7時59分発の電車で出発、9時35分頃に志賀ヨットクラブに着きました。

早速BUDDYを降ろしてもらうよう依頼しましたが、さすがに夏になると乗りに来るメンバーが多いと見えて、2艇ほど待たされました。港内の桟橋で艇を受け取ってそのまま乗り込み、10時半に出港。

風は北東の微風ですが、そこそこ走れるほどには吹いています。北の方で吹いた風の影響なのか不規則な波があります。エリの外に出して、機走しながらまずコクピットの汚れを洗い流します。今使っている仮の船台は前後のバランスが悪くてコクピットの雨水が残るのです。コクピットが綺麗になったところで、ワイフがジブをセット、私はブームカバーを外してメインセールを上げる準備。ワイフがヘルムを取り、私がハリヤードを引いてセールを上げました。メインセール、ジブ共にスムーズに揚がりました。

風は北東から僅かに北に寄っています。今日の目的地、沖島を目指します。まずポートタックのクローズホールドで観測塔へ向かいます。観測塔が近くなったところでタックして、スタボータックのクローズホールドで近江舞子沖へ向けます。

不規則な波があるので、風が弱くなると暑さと重なって不快です。帽子を被っていなかったので頭を太陽に熱せられたからでしょうか気分が悪くなってきました。冷たいお茶を飲んでも体に力が入りません。心臓が動悸を打って、体全体がふらふらするような感じです。
ヘルムをワイフに任せてセールの陰になるマスト下で横になって休みました。暫く日陰で風を受けていたらなんとか気分が良くなってきました。暑さにやられたようです。

北小松沖
北小松沖

白髭神社沖に近づいたところで、風がパッタリと止んでしまいました。白髭浜の沖から安曇川方面の北寄りでは風があって、所々に白波が見えています。ところがここでは全く風がありません。わずかに吹くかと思うと北だったり東だったり、挙げ句の果てには波に揺られてウインデックスは360度回転したりする有様です。

機走して、風を得て涼しくなろうということで、エンジンを掛けることにしました。ところが何度スターターロープを引いてもエンジンが掛かりません。頭がふらふらしてきて、しばらく休憩。そこでエンジン周りを点検すると、船外機カバーの前縁から燃料のように見えるものが滴になってぽたり、ぽたりと落ちているではありませんか。1/50で混合されているオイルの色に見えます。こんな液体がエンジン部分に他には存在しないはずなので、燃料が漏れている疑いが強いと思えます。もしエンジンが掛かってこれに引火したら火災になると思って不安になり、船外機の使用を諦めました。

出港してから3時間半が過ぎたので、引き返すことにしました。時折吹く風を捕まえてはリーチングからランニングで志賀ヨットクラブを目指して走ります。途中で、メインセールを見ていると、ラフの中央部で前回ピークボードのところで外れていたのと同じようにスライダーとセールを繋ぐハンクスが外れているのに気が付きました。セーリング中に外れるのは困り物です。強風中にこのようになったら面倒です。

風を探し探しリーチングとランニングでなんとか志賀ヨットクラブの北側のエリのところまで帰ってきました。ここでわずかにあった風も落ちてしまったのでなかなか進みません。セーリングで浜の桟橋に着ける準備を始めました。
ジブは降ろして、わずかな東の風でポートタックのランニングで進み桟橋北側に出船で着けることにしました。なんとかエリをかわすと、僅かながら風が出てきたのでなんとかセーリングで着桟できそうです。ワイフが右舷と念のため左舷にもフェンダーを吊るし、もやいを右舷に準備し、バウで着艇に備えます。バウを大きく左に回し同時にメインシートを放して風を抜き、行き足を落とします。僅かに水が空いたのでワイフは桟橋にいた人にロープを投げバウの一番舫いを取ってもらいました。これで何とかセーリングでの着桟が成功しました。16時45分。

そこで私がメンセールを降ろそうと慌てたため、メインハリヤードをコイルして袋に入れたままにしていた上に、その袋の中にウインチハンドルまで入れていたので、メインハリヤードが引っかかってなかなか出て来ません。メインセールがなかなか降りません。大慌てでハリヤード掴み出したら、ウインチハンドルが「ポチャン」と桟橋際の水中に落ちてしまいました。慌てるとろくな事はありません。メインセールを降ろす手順を着桟前に考えていれば、ハリヤードを予めコクピットに捌いて、セールを降ろし易くしていたのでしょうが、この辺はちょっと考え不足でした。

浜側の桟橋に着けたので、直ぐにハーバーマスターの藪さんに「エンジンの燃料が漏れていそうなのでエンジンなしで入港したい」と連絡しました。

舫いロープで引いて桟橋先端かわそうとするが、藪さんがやってきて、桟橋の先端周辺にはロープとチェーンが入っているからその近くではセンターボードが引っかかる可能性があるとのことです。引き回すよりは、風も弱いのでディンギーの様にラダリングで移動させることになりました。

須磨でY15Uに乗っていた時には、入港時に始終ラダリングで艇を進めていたのですが、まさか20feetの一応はセーリングクルーザーがラダリング進むとは思いませんでした。藪さんが、この艇はアウトラダーだし艇が軽いから行けると言われたとおり、面舵の時は左舷に体重をかけて左舷側にヒールさせ、取り舵の時は右舷側にヒールさせながらローリングとラダリングを同期させて、上手くラダリングでBUDDYを進めて桟橋の先端を大きくかわして水路に向けて進められました。私も代わってラダリングしてみましたが、何とか大きなディンギーの様にラダリングで進めることが出来ました。17時、港内の桟橋に着桟。

これでとにかくなんとか無事に帰港できました。ヨットクラブのスタッフ達との話では、エンジン部分の漏れは燃料以外にないはずだからエンジンを掛けずに帰港したのは安全第一で正しい判断だとのことでした。
この状況をヤマハの堀江さんに伝えて早急に点検してもらう必要があります。

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bullet白髭神社の沖まで往復

1996年7月14日(日曜日)

ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。今日でBUDDYVの乗艇は7回目になりますが、最初の2回はヤマハの堀江さんと私でのセーリング練習だったので、ワイフと二人での乗艇は今日でやっと5回目です。

今日は、志賀ヨットクラブではシーズンのオープニング・パーティーとレースがあるので大混雑するということなので、いつもより30分ほど早めに出発しました。ところが、新快速で堅田駅に30分以上早く到着したのは良いのですが、普通電車の接続が無くて、次の電車を待っていると30分早く出た意味が無くなってしまいます。せっかく早く来たのだからと堅田から志賀ヨットクラブまでタクシーで行くことにしました。タクシーで10分弱、9時前に志賀ヨットクラブに着きました。

聞いていたとおり、レースとパーティーの準備で志賀ヨットクラブのスタッフは大忙しの様子です。私達は、パーティーやレースより、BUDDYでの一日のセーリングの方が良いのでそちらには不参加です。レースに参加する艇は20艇くらいあるようです。私達はそれでもごく早い時間での到着だったので、僅かの順番待ちで9時20分頃に下架してもらい、港内の桟橋で受け取ってそのまま9時30分に出港しました。

前回不具合のあった船外機のコクピット・コントロールはヤマハのエンジニアに問題の確認と調整をしてもらったので全く問題なく使えました。
ところが、走り出して気が付いたのですが、何故か舵が重いのです。その船外機のチェックを行った時に、アウトラダーをキックアップして作業をしたのでしょうか、ラダーが下がり切っていなくて中途半端な角度になっています。ロックコードを外して、ラダーを下げました。
この艇のアウトラダーは、ディンギーのアウトラダーと構造が同じです。ティラーの両サイドに、ラダーをキックアップするコードと、キックダウンするコードがあり、それぞれにコードをロックするためのカムクリートが付いています。そしてショックコードの力を利用してアップとダウンがそんなに力を入れなくても動くようになっている。そのため、コードロックをはずすと、軽い力が加わるとアップあるいはダウンしてしまいます。きちんと両サイドのロックコードをクリートしておく必要があります。

風は東北東の微風ですが安定していて吹いていますので、快適なセーリングになりそうです。港外に出てエリをかわしたところで、機走したままでコクピットの水洗いをしました。進水時にはBUDDYのハルのカーブに合わせた専用の船台が間に合わず、現在はまだ仮の船台に乗せてあるのですが、その船台だと僅かに前下がりになるので、コクピットの前部に雨水が溜ってしまうのです。今週中にはBUDDYV用の船台が出来上がるとのことで、そうなればコクピットに水がたまることもないし、上架してからの水洗いも楽になります。

コクピットの掃除が済んでから、セールを揚げる準備をしました。ここのところワイフがジブのセットの担当です。ワイフの場合は力がないので、ジブのタックをシャックルで止めるのも大変のようですが、とにかくどんな気象条件の時でも出来るようにならなければいけません。
メインセールはブームカバーを外してハリヤードをピークに付ければ後は揚げるだけと思っていたのですが、いざハリヤードを引いて揚げてみると、最後の一つのスライダーのあたりまで揚ったところで、どんなに力を入れてもそれ以上揚りません。おかしいと思ってあちこち点検して、やっとメインシートが一杯に引かれクリートされていることに気が付きました。メインシートをゆるめて、やっとメインセールが揚りました。
この間に一汗かいて、おまけに力任せにハリヤードを引いた時に、またまた不注意なことにグラブを着けずに素手だったものですからロープで擦った右手の薬指の皮がめくれてしまいました。作業中には必ず、セーリング・グラブを着けなければと、痛い反省。
メインセールの次にはジブを上げて、エンジン停止、船外機チルトアップ。その後は快適な帆走に移りました。

今日は出来れば白髭神社沖まで行きたいのでセーリングに徹します。風は北東から僅かに東寄り。まずポートタックのクローズホールドで出ました。長命寺と沖島の中間辺りを狙うコースを取りました。まだ早い時間なのでセールはほとんど見えません。

ヘルムを取るワイフ
ヘルムを取るワイフ

そして何でも係の私
そして何でも係の私

3タック目に志賀沖観測塔をかわして、観測塔の間近に停泊中の「清流」という調査船(?)の横を通過しました。観測塔の東側に出て、11時15分頃にタックするとちょうどスタボータックで白髭神社が狙えるようになりました。12時20分、白髭神社がなんとか視認できるようになったので、湖中の鳥居を探すのですがなかなか見えてきません。一度見ていて記憶にあれば、それと見つけやすいのですが、初めてなので見つけるのが大変です。結局双眼鏡を使ってやっと見つけることが出来ました。見つかってしまうと、なんでこの朱色の大きな鳥居が見つからなかったのか不思議なくらいです。
出港してから3時間経ったので、白髭神社沖までまだ少し残していますが引き返すことにしました。

この弱い風でランニングだとスピードが出ない上に見掛けの風が無くなり暑いだけなので面白くありません。出来る限りアビームからリーチングで走るようにしました。やっと観測塔のあたりまで南下したところで、比良の方から大きな雲と夕立が近づいてきました。その雲よ夕立を南から東によけながら南下します。5分ほど夕立の東の端からの雨粒がパラパラと落ちてきましたのでウインドブレーカーを着ましたが、暑くてすぐに脱いでしまいました。土砂降りになって艇内に降り込まれては大変と思いハッチカバーを閉めたりもしましたが、無用ですぐに通り過ぎて止んでしまいました。

その後、風が良くなってきたので、気持ち良くワイフのタッキングの練習を繰り返しました。
和邇漁港沖でセールを降ろして後始末をしながら機走で志賀ヨットクラブへ帰りました。水面係留の大型艇の後で17時ちょうどに帰港。この日最後の入港でした。直ぐに上架して、艇の後片付け。パーティーは終了していました。

シャワーを浴びて直ぐにクラブを後にし、和邇駅18時5分発の電車で帰途に就きました。

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bullet購入した備品を持って、午後志賀ヨットクラブへ

1996年7月13日(土曜日)

午前中に大阪駅前の山の店IBS石井へ出かけて、セーリングに役立つと目星をつけていた備品を何点か購入しました。
簡易トイレ(Porta Potti 335)用の脱臭剤(徳用)。
大型の汎用バッグ、サイズ 80*55*35。
小物整理用の小袋3枚。
帽子止め。

午後、志賀ヨットハーバーへこれらの備品をもって出かけました。先日購入した、折畳みプラスチックボックス(小物整理用にあるいはアンカーとロープの整理用に使う予定です)、小型電気掃除機、等も含め大きなバッグに全て詰め込み、その上にシュノーケリングの三点セットと飲料水用のソフト・ポリタンも詰め込みました。

13時前に家を出て、JRで和邇駅まで、志賀ヨットクラブには14時30分頃到着しました。
早速電源コードを借りてBUDDYVのキャビンの掃除にかかります。このところ湖面で大量発生した羽虫(大型のユスリカ?)の死骸がびっくりするほどあって、掃除機で吸い取らなければ始末が出来ません。クッションを全て取り払って隅々まで大掃除しました。

その後、簡易トイレ(Porta Potti)に水と浄化剤、脱臭剤などを入れ、何時でも使えるようにセットしました。
燃料は三分の一ほど減っているだけでしたが、念のために満タンにして貰いました。
ハーバーマスターの藪さんに燃料タンクの予備のことで相談したところ、現在のタンクと同じものを予備とした方が接続も容易だし使い易いのではというアドバイスだったので、注文してもらうことにした。

明日はオープニングパーティーとレースで混み合うから早めに来て下さいという藪さんの勧めで、明日は9時着予定ということで、到着してから艇を降ろすことでお願いしておきました。

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bullet須磨ヨットハーバーに置いていたBUDDYUの撤去

1996年7月12日(金曜日)

BUDDYVを購入する時に、それまで須磨ヨットハーバーに置いていたBUDDYU(Y15U)の撤去と処分をYAMAHAの負担でやって貰うことにしていました。今日、その作業を行います。

9時前に須磨ヨットハーバーの管理事務所に出向きました。管理人に本日ディンギーを搬出する旨説明して準備にかかりました。ハーバーマスターには何回か話を通しているので、すぐに了解してもらえました。
北ハーバーはほぼ工事が完了しているが、ゲートのスロープのところの50cmほどの段差のコンクリート打ちが未完工で、トラックがハーバー内に入れません。ゲートのところまで人手で台車ごと引っ張ってくるしか方法がありません。

昨年の震災以来、全く動かしていない台車のキャスターの回転は予想していたとおり思わしくありません。CRCを何度も吹き付けて、金梃子で無理矢理回転させてなんとか動くようになりました。
スロープに引っぱり出して、汚れ放題の船体を水洗いしました。オーニングの下のコクピットは、猫が入っていたらしく、汚れ放題だったのでしっかりと水洗いして綺麗にしました。

10時前には完全に掃除も終わって、ティラーやラダーも乾いたので、後はヤマハの堀江さんのトラックの到着を待つばかりです。ところが10時半になっても到着しません。やっと10時40分になって到着しました。2号線が混み合ったようです。震災で倒壊した阪神高速が使えないので、2号線の渋滞が酷いのです。

艇はマストを倒してトラックに積み込みます。管理人さんに手伝ってもらって、台車と艇をトラックの荷台に積み込みました。しかしラッシングする際になって、台車とハルを別別に積んでは安定しないことが分かり、結局台車にハルを乗せて、台車ごとラッシングすることになりました。これが一仕事でした。あと2、3人の人手が欲しいところでした。普段ならたいていヨット部の学生さんが何人かいるのに今日に限って全く人影がみえません。管理事務所の人の手を借りてやっと12時に積込を完了しました。ヤマハの堀江さんは、トラックでそのまま琵琶湖へ運び込むようでした。

これで長らくお世話になった須磨ヨットハーバーとも完全に縁が切れました。

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bulletキャビン内で使うプラスチック折畳みボックス、小型電気掃除機を購入

1996年6月29日(土曜日)

アンカーをむき出しでキャビン内に保管するのは危険なので、保管用のボックスを探していました。ヤマハの堀江さんによると、組立式のプラスチックのボックスのような物を使っているのを見たことがあるということでした。

近所のDIY店でぴったりの物をみつけました。サイドが折り畳まれて小さくなるプラスチック製のボックスです。
同時にその店にあった小型の電気掃除機も購入しました。充電式もありましたが、コードが無くて一見便利そうですが充電に時間が掛かるし重いなど不便な点が多いようでこれはパス。ヨットクラブの陸電が使えるのでコード式の家庭用の小型電気掃除機にしました。

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bullet風が弱くジェネカーの練習、湖面では羽虫が大発生

1996年6月23日(日曜日)

ワイフとと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。
JR塚口駅を7時59分の電車に乗って、志賀ヨットクラブに着いたのが9時30分過ぎ。
天気は曇り。昨日、電話で9時半頃着く予定を伝えてあったので、艇はすでに桟橋に舫ってありました。

9時45分、出港。微風というよりは無風に近い状態です。靄で蓬莱山もほとんど見えません。視界が悪いので湖岸からあまり遠くならないように、北へ向かうことにしました。
機走でエリの外に出てから、帆走の準備にかかります。まずジブからセット。ワイフがジブのセットの練習です。その間に私はメインセールの準備。セールを揚げる力仕事は私の役です。

靄を通して次第に日差しが強くなってきました。それとともに前回(16日)と同様、湖面から羽虫(ユスリカ?)の大群が沸いて来ました。兎に角、あたり一面の湖面から沸きあがってくるようです。風が無いので、白いハルやセールの表面に無数に止まります。下手に触ると潰れて汚れるので、風が吹いて飛び立つのを待つしかありません。余りに数が多くてちょっと気持ちが悪いです。おまけにこれがキャビン内の彼方此方に入り込んでそこでご臨終になってしまうので、その掃除も大変です。

お昼前になってやっと観測塔を西からポートタックでかわして沖島方向へ進んでいます。こう風がなくて進まないのなら、ジェネカーの揚げ降ろしの練習でもしようということになりました。右舷のライフラインにジェネカーのバッグを取り付けて、ピークとタックとクリューを揃えてハリヤード、タックロープ、シートを繋ぎます。シートはステイの外側を大回しにします。
ワイフはバウでジェネカーを捌き、私はティラーをショックコードで仮固定してジェネカーハリヤードを引きます。風がほとんど無くなかなかジェネカーが広がらないのでちょっと不安でしたが、シートを引くと殆ど無いと思えるような風を上手く孕んでふわりと丸く広がってくれました。すると艇がぐいっと進み始めました。これは初めての経験なのでちょっと感動しました。
シートを出来るだけ出してラフがめくれる直前までジェネカーを前に出します。シートは軽く手で持ってスタボー側に外側にもってゆくようにしています。微風で凧揚げをしているような感じです。
しかし、ランニングに持ってゆくとジェネカーは潰れてしまい上手く走りません。アビームを越してもラフがめくれて潰れてしまいます。ジャイブを試みっましたが、今日はあまりに風が弱くて、シートの重さに負けてフォアステイの前をセールが回ってくれません。無理矢理ポート側のシートを引っ張って強引にジェネカーを反対側に引き回しました。何度かこんなことを繰り返しながら風を待ったのですが、今日は最後まで風は吹いてはくれませんでした。
16時前にあきらめて帰港することにしました。

着岸の直前で船外機のコクピットコントロールがおかしいことに気が付きました。デッドスローからニュートラルにしようとするところで、何故かエンジンの回転が上がってしまいます。後進にも入れることが出来ません。
そこで今朝の会話を思い出しました。朝、BUDDYを桟橋に予めおろしてくれたクラブのスタッフの一人が、コクピットコントロールの使い方が分からず、船外機側のバーコントロールで動かそうとしたが、これがとても堅くて大変だったと話していたのです。
この艇は、コクピットコントロールにしたので、船外機側のバーコントロールはロックされていると聞いていたのですが。その話を聞いたときには、船外機側にコントロールを戻す方法があるのだな、と言うくらいに聞き流していたのです。今朝のこの会話を思い出して、即座に船外機側のバーコントロールを使ってみることにしました。バーを回して微速で港内の桟橋に近づけて、直前でエンジンをカットして、16時5分に着桟しました。
着桟後にテストしてみてもコクピットコントロールは相変わらず不調です。ヤマハの堀江さんに連絡することにしました。

上架後、デッキの片付けをして、16時40分に志賀ヨットクラブを後にしました。
和邇駅17時5分発の電車で帰途に着きました。

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bullet湖面で羽虫が大発生、沖島往復

1996年6月16日(日曜日)

ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。
何時もと同じJR塚口駅7時59分発の電車で出発、志賀ヨットクラブに到着したのは9時40分頃。

晴れ、微風だが快適な一日になりそうです。到着して直ぐに下架して貰いました。他の艇はまだ殆ど出港の準備をしていません。エンジンの始動にちょっと手間取りました。港内の桟橋から浜側の桟橋に移動して、出港前の作業を行いました。まず、バウデッキのスカイライトハッチ縁にその上を左右に移動するセルフタッキング・ジブシートが引っかかる問題を解消するようにと、スカイライトハッチの真上を通って両サイドからショックコードを張りました。セルフタッキングジブのジブシートは、このショックコードの上を滑るので、ハッチの縁には引っかからないという工夫です。

作業の最中にガガンボをちょっと小さくしたような羽虫が異常に多いことに気が付きました。時間が経つにつれて、湖面から沸くように飛び立ってくるようです。艇のあちこちに羽を休めて群がってきます。艇を動かして風が出ればいなくなるだろうと思いましたが、結局この虫は一日中、湖面全域で発生していたため、艇の中も外もセールまでも虫に集られて大変でした。別に刺したりするような虫ではなくて、何もしないただの小さな羽虫なのですが、コクピットに座れば尻の下で潰れるしセールにはこびり付くはで大弱りです。余りに多くてどうすることも出来ず結局諦めて無視するしかありませんでした。

10時、出発。風は北の微風。沖島を目指します。

11時から12時にかけて風がほとんど無くなり、おまけに晴れて暑いので機走しました。辺りに見える何艇かも皆機走しているようです。12時頃からやっと僅かながら風が吹いてきたので、心地良く帆走し始めました。ポートタック1本で沖島の南端を目指します。沖島と近江八幡の間の水道が近づいて、沖島南端の民宿などが見えるところで13時過ぎに引き返すことにしました。

15時40分、浜側の桟橋北側に出船で着桟。デッキを整理してセールカバーを掛けたところで、上架する順番が回ってきました。上架してから羽虫の残骸と汚れを落とすために艇の外周りを洗いました。昨日購入した持参した洗車用のブラシは手元をホースに接続して、水を吹き出しながらブラシで洗うタイプなのでとても使い易い。これで外周りはすっかり綺麗になりましたが、キャビン内に入り込んだ羽虫の始末はまだです。

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bullet午後から艇の整備

1996年6月8日(土曜日)

今日は、志賀ヨットクラブでヤマハ31feetとジャヌー24feetの試乗会があるという案内がありました。
天気は、雨の予報です。

私一人でお昼過ぎを目指して志賀ヨットクラブへ出かけました。セーリング予定はなくて、艇の各部の使い勝手を良くするための工夫を施すつもりです。

12時30分頃、到着しました。小雨が降り始めましたが、空は比較的明るく雲はそれほど低くはありません。志賀ヨットクラブは英会話クラブのメンバーのバーベキューパーティーで賑わっていました。セーリングのメンバーはの姿は殆ど見えません。風も無くて、セーリングには最悪の条件ですから、誰もヨットを出す人はないのでしょう。

艇の各部の艤装の工夫と試作。
(1)ティラーを固定するショックコードの工夫。一応完成。
(2)メインハリヤード、ジブハリヤードの整理をする袋の取り付け。袋とフック付のショックコードで自作できそう。
(3)バウのハッチの上をジブ・シートが通りやすくするためのコードの工夫。これはフック付の自転車用のショックコードで間に合ったが、ハッチの真上に来るように中央からバウ側に引く工夫が要る。

ヤマハの堀江さんが、ジャヌー24feetの試乗をしていたが風がなくて走っていない様子です。堀江さんにボブステイが出たままで戻らない件の念押しをした。

帰りに、大阪駅前のIBS石井スポーツでマジックテープ、袋、ショックコード付きのフック等を物色。

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bulletボブステイの修理依頼

1996年6月3日(月曜日)

ヤマハ京都店の堀江さんに電話して、ジェネカー用のポールのボブステイが引き出されたままで引き込まれない故障の修理を依頼しました。まだジェネカー用のバウポールを使っていないのに何故?。引き込むためのショックコードが外れているのではないか?等と思いついたことを話しておきました。

ヤマハ京都店では試乗会などがあるので忙しくて、スタッフを派遣するまでに少し時間が掛かるかもしれないとのこと。

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bullet観測塔からマイアミ浜沖をセーリング

1996年6月2日(日曜日)

ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。
JR塚口駅7時59分発の電車に乗り、大阪駅8時15分発の新快速に乗換え、京都駅8時50分発の湖西線の普通電車に乗換えて、和邇駅が9時15分着。

志賀ヨットクラブには9時40分に到着しました。艇は前回見つかって問題になったバラストとセンターボードケースとの間のシーリング補修が完成していました。バックステイがチルトアップした船外機と擦れそうになる部分ののゴムのカバーも付けられていました。ジブのタックのシャックルもピンが抜けないタイプに変更されていました。新調したブームのセールカバー(North Sails Japan)も届いていました。

ディンギーでも快適な程良い風。早速艇をおろし、燃料もも満タンにして貰いました。
桟橋でセイルをセット。10時40分、出港。

エリの外に出てセールを揚げました。志賀ヨットクラブの東の湖中にある構造物を目指します。水道の取水施設か何かの様に見えます。近づくと微かにモーターの回転音が聞こえます。後で志賀ヨットクラブのスタッフに聞いたら、水質などの観測塔だとのことです。そこから東へ沖島を目指します。北の風が良くなってアビームで快走。出港から2時間走ったところで、南へ向かいます。マイアミ浜の近くから今度は真野浜へ向かいます。真野浜沖から北へ真上りのタッキングで、14時30分に志賀ヨットクラブの浜の桟橋北側に着桟。

後片付けに掛かります。今日からは、メインセールはブームの上に畳んでセールカバーを掛けることになりました。これで、毎回メインセールを付けたり外したりする手間が無くなります。その後直ぐに上架。
上架後に艇のコックピットを掃除して終了しました。

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bullet浜側の桟橋で機走と離着岸の練習

1996年5月12日(日曜日)

ワイフと二人で志賀ヨットクラブへ出かけました。今日はワイフと二人でBUDDYVに乗る初めての日です。
列車の接続を調べたところ、次の列車の乗り継ぎが一番便利のようです。
JR塚口駅JR塚口駅7時59分発の電車に乗り、大阪駅8時15分発の新快速に乗換え、京都駅8時50分発の湖西線の普通電車に乗換えて、和邇駅が9時15分着。

志賀ヨットクラブには9時35分過ぎに着きました。風はあまりありません。ワイフはBUDDYVが初めてなので、まず艇に触ってあれこれに慣れることから始めなければなりません。

艇は下架して直ぐに浜の桟橋に回して舫いました。

浜の桟橋に舫う

今日はジブとメインセールを揚げる操作、船外機の始動と機走時のティラーでの操船、離岸、着岸の練習を行います。
桟橋に停めたまま、ジブセールとメインセールの着脱の練習を夫々2回繰り返しました。今日は着脱だけでセールは上げませんが、これだけで一汗かきました。次の船外機のチルトアップ、チルトダウン、そして燃料タンクと燃料ホース、船外機の接続。そしてスターターロープを引いての始動。これは1発で掛かってしまい、ちょっと呆気なかったです。
その後、機走で艇を走らせてワイフが初めてのティラーを握っての操船です。ティラーでの操船が初めての場合は、ティラーの押し引きとバウの向く方向の組合が反対になりやすいのですが、ワイフも正にそれで、直進していて次のターンの時に頭で考えながら操作しているのが良く分かります。考えずに操作すると、思った方向と反対に曲がっているようです。このティラーでの操船に慣れるまで、志賀ヨットクラブ沖をぐるぐると1時間くらい走って練習していました。
その後は、桟橋の北側、南側に出船で右舷左舷で着岸する練習を繰り返しました。これは二人のチームワークの動きが大切ですから、操船と舫いの担当を入れ替わりながら繰り返しましたが、私がヘルムを取ってワイフが舫いを担当するのが一番上手く行くようでした。

今日はワイフが17時には塚口に帰る予定があるので早めに切り上げました。14時30分に終了。

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bulletヤマハの堀江さんの同乗で新艇でのセーリング練習

1996年5月6日(月曜日、国民の休日)

昨日に引き続いて、私とヤマハの堀江さんと一緒に乗って艇の習熟のためのセーリングの予定です。
JR塚口駅7時45分ハツの電車で、大阪駅8時発の新快速に乗り換え、京都発8時45分発の湖西線の電車に乗り換え、和邇駅到着が9時10分。

9時40分に志賀ヨットクラブに着くと、ヤマハの堀江さんは先に来ていて、先に船に上がっていました。
天気は曇り、風はほとんどありません。艇に上がってみると、コクピットに雨水がたまっています。オープンコクピットなのでスターンから流れ出るはずなのですが、今の船台は借り物でハルの寸法に合っていないため前下がりになっているので雨水がコクピットの前部に少しだけ残ります。早速、スタッフに下架を依頼しました。ここ志賀ヨットクラブでは、艇の揚げ降ろしはすべてハーバーのスタッフに任せます。

10時丁度、出港。機走でエリの外まで走って、セールを上げました。風は殆ど無いと言っても良い様な超微風です。その風を拾いながら、ディンギー乗りの感覚でリーサイドに座ってヒールさせながらそろりと艇を動かしていました。

11時30分、ポツポツ雨が落ちてきたので、いったん桟橋に付けて食事にしました。

12時30分、再び艇を出して、今度はジェネカーを揚げました。揚げる側のライフラインにセールバッグのフックを取り付けるて、ピークにジェネカーハリヤード、タックにタックシート、クリューに左右のシートを、ハリヤード、タック、シートはすべてのステイ、シュラウドの外側を回します。ジェネカーでのジャイブはフォアステイの外側をまわして返す必要があるので相当にやっかいです。ある程度の風があれば風をはらんだ力でジェネカーが返るのでしょうが、風が非常に弱いと風で返ることは無いので反対サイドのシートを思い切って引いてジェネカーを返すしかないようです。

堀江さんの次の仕事の予定があるので14時30分で切り上げました。艇を船台に上げる時に、センターボードの周りのバラスとのシーリングが不十分で、そこに溜まった水が噴き出すように流れ出すのが見つかりました。水漏れの心配は無いのですが、シールをやり直すことになりました。

志賀ヨットクラブの阪村専務から、新調の船台はもう暫く日数が掛かりそうだとのことでした。

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bullet志賀ヨットクラブでBUDDYVの進水式

1996年5月5日(日曜日、こどもの日)

今日は新艇のBUDDYV(Jeanneau SUNFAST20)を志賀ヨットクラブで引き取る日です。同時に、志賀ヨットクラブへの入会日です。

13時30分に志賀ヨットクラブに到着しました。ヤマハの堀江さんと、志賀ヨットクラブのスタッフが新艇の進水式を準備してくれていました。午前中に長浜で行われたレースに参加して帰ってくる艇があります。その上架作業が一段落する間に、堀江さんから新艇BUDDYVの仕様について陸置きの艇内で説明を聞きました。
その後、志賀ヨットクラブへの入会申込書を阪村氏に渡しました。
15時から,進水式に取りかかりました。
艇をホイストで吊り上げ、水に降ろせる状態にしたまま、シャンパンの振り掛けと紅白のテープカットを行いました。

シャンパンの振り掛け
シャンパンの振り掛け

紅白のテープカット
紅白のテープカット

午前中のレースに参加した数艇のオーナーやクルーが拍手で祝ってくれて、シャンパンで乾杯し写真を撮りました。

午前中のレースに参加した数艇のオーナーやクルーが拍手で祝ってくれて、シャンパンで乾杯しました

15時20分、出港。エンジンの始動、ニュートラルと前進・後進の手順を何回か練習しました。コクピットコントロールでの操作は非常に簡単でした。機走で南と北にあるエリをかわしたところで、セールを揚げる準備に掛かりました。
桟橋で予めセールをセットしておけば良かったのですが、包装のポリ袋から取り出したばかりの真っ新のメインセール、ジブセールは固い上に滑るのでちょっと扱いに苦労しました。ジブのハンクスは、Y15Uなどと全く同じプラスティック製の押し込んで捻る方式のハンクスでしたが、新品でサイズがピッタリなので動きがまだ滑らかではないのでセットするのに手間取ります。メインセールはスライダーとラフのクリングルをプラスチックのハンクスで止めてあるのですが、このハンクスのピンはスナップのように押し込んであるだけなので、力が掛かっていないと時々外れます。これはちょっと問題かもしれません。
取り敢ずセールがセットできたところでセールを揚げました。クルーザーといっても20feetと艇が小さい上にアウトラダーのセンターボード艇ですから操船の感覚はディンギーにごく近いです。
風が弱くてもちょっと息があれば即座に反応しますが、風が振れる度にあるいは乗艇位置を変える度に微妙に敏感に反応します。
沖に出る前に志賀ヨットクラブの位置を山立てし頭に刻み込んで、帰港の際の心覚えにしました。

セーリングに関しては、Y15Uにシングルハンドで乗っている時より随分楽です。ジブはセルフタッキング仕様ですから、ジブシートを引いて一度トリムを決めてクリートしておけば仕舞いですし、メインセールもトリムしてカムクリートすれば手放しで済みます。アウトラダーの利きは非常に素直で軽く、ティラー・エクステンションを軽く握っているだけです。タックもジャイブも軽快で、ディンギーと同じ感覚でした。

16時30分に志賀ヨットクラブに向かいます。エリの手前で風にたててセールを降ろしエンジンを掛けました。出港時は堀江さんがヘルムを取りましたが、帰港時のヘルムは私が取りました。浜側のポンツーンをかわしてハーバー内の桟橋に着艇し、そのまま直ぐにフォークリフトで上架しました。

まだ不足のものもあるので、堀江さんと確認しました。
(1)ブームカバーは来週には届く予定。
(2)シャックルの予備が必要。
(3)船外機とバックステイが擦れる問題の解決方法(柔らかいゴムなどのガードを付けるなど)。
(4)バッテリーの補充電の方法(ソーラーチャージャーなど)。

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bullet進水は5月5日と決定

1996年4月30日(火曜日)

ヤマハの堀江さんから、5月4日に艤装し、5月5日に志賀ヨットクラブで引き渡すことに決まったと連絡がありました。
船名は、今まで須磨で乗っていたディンギ(Y15U)が「BUDDYU」だったので、それを引き継いで「BUDDYV」とすることに決めました。

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bullet艇を確保するために頭金入金

1996年4月11日(木曜日)

昨日、ヤマハ関西京都店の堀江さんから。今年日本に入るJeanneau SUNFAST20は現在のところ3艇で、できれば早めに頭金を入れてその中の1艇を押さえたいとの電話がありました。
これを受けて、今日ヤマハ関西京都店宛に頭金を送金。まず間違いなく押さえられるだろうが、琵琶湖に入るのはゴールデンウイークぎりぎりになるかもしれないとのことでした。

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bulletJeanneau SUNFAST20の見学・試乗、契約

1996年4月6日(土曜日)

今日10時30分から、ヤマハ関西京都店の堀江さんの案内で、琵琶湖の雄琴マリーナにある Jeanneau SUNFAST20 を見学、試乗の予定です。
しかし現地では風が強くて試乗は中止し艇内外の見学に止めることになりました。船台に載っている Jeanneau SUNFAST20 のデッキ周りやラダー、センターボードなどは大きなディンギーの様で、これは思っていたとおりの印象です。キャビンはほんのおまけ位に思っていたのですが、予想していたのより明るくて広い感じです。

契約に移るための話は、叡山坂本のヤマハの琵琶湖マリーナで行うことになりました。昼食を摂りながら契約手続きを開始。標準仕様にエンジンの変更とコクピットコントロールの追加、ジェネカーの追加,マストトップの航海灯やウインデックス追加等。

その後、堀江さんの紹介で志賀ヨットクラブに Jeanneau SUNFAST20 を置く意思があるということで入会をお願いしに向かいました。志賀ヨットクラブの阪村さんは歓迎するとのことで話は前向きに進みそうです。

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bullet志賀ヨットクラブ、雄琴マリーナを再度見学

1996年3月24日(日曜日)

ヤマハの堀江さんと同行して、志賀ヨットクラブと雄琴マリーナを再度見学。
志賀ヨットクラブは、周囲の環境が素晴らしいし、ヨットだけのクラブというのも気に入りました。
雄琴マリーナはモータボートも含めて保管されているので雑然とした印象です。

志賀ヨットクラブに一層心が傾きました。ヤマハ関西京都店の紹介と言うことで志賀ヨットクラブ入会の手配を進めて貰うことにしました。

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bullet志賀ヨットクラブ、雄琴マリーナの見学

1996年3月20日(水曜日、春分の日)

ヤマハ関西京都店の堀江さんの紹介で、志賀ヨットクラブ、雄琴マリーナの見学に出かけました。

志賀ヨットクラブは、和邇駅と蓬莱駅との中間にあるで、蓬莱駅から歩いてみました。私の足で15分かかりました。13時から約1時間ほど見学。専務の阪村さんが案内してくれました。須磨ヨットハーバー(Y15U)から琵琶湖へ移りクルーザー(Jeanneau SUNFAST20 )に乗り替えることを検討していると話して、条件が見合ったらお願いすることになるかもしれないとこちらの意思を伝えました。
志賀ヨットクラブは、メンバーの年齢層が比較的高くて出入りが少なく、利用はヨットだけとのこと。北湖は水も綺麗で、クルージングに最適の環境に思えます。
帰りは和邇駅に向けて歩いてみましたが、こちらも私の足で15分。

雄琴マリーナは、雄琴駅から歩いて15分のところでした。
15時から約30分ほど見学しました。ヨットだけではなくてモーターボートも多く、全体が雑然とした駐車場のような感じで、志賀ヨットクラブのような落ち着いた雰囲気はありません。湖岸の水も、北湖の志賀ヨットクラブと比べるとかなり汚れた感じがします。

候補に挙がっていた2ヶ所を下見した後で、ヤマハ関西京都店へ向かいました。阪急電車で西院から歩いてヤマハ関西京都店へ。堀江さんと面談し、Jeanneau SUNFAST20 で話を進めたいという意向を伝え、見積もりを願いました。艇の保管場所は今日私が下見したところでは志賀ヨットクラブが良さそうに思えるということも伝えました。

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bullet大阪ボートショー

1996年3月10日(日曜日)

ワイフと二人で、大阪ボートショウ(インテック大阪)へ出かけました。
まっすぐヤマハのコーナーへ向かい、展示艇 SUNFAST24(ジャヌー)を見学しました。私達夫婦のねらいは残念ながら現物の展示がありませんが、SUNFAST24 の妹分の SUNFAST20 です。

そこで案内してくれたのは、ヤマハ関西京都店の堀江さんでした。須磨でディンギー(Y15U)に乗っているが昨年の震災以降1年経っても須磨北港のディンギー関係のヤードなど施設の復旧の目処が立っていないことなどから、琵琶湖で小型のセーリングクルーザーに乗りたいという私達の希望を伝えました。保管場所については出来るだけ北湖に近い方が良いという考えも伝えました。すぐに各種資料を取りそろえて説明に来るとのことでした。

私としては今までの資料集めの段階で候補に挙がってきた SUNFAST20(ジャヌー)、アウトラダーのセンターボード艇という大型のディンギーのようなセーリングクルーザーでおまけに小さなキャビンも付いているという特徴のこの艇に大きく心が傾いています。ワイフと二人でのんびりセーリングを楽しみたいというスタンスですから、セルフタッキングジブという仕様も気に入っています。

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